
ふと考えてしまうんですが、80 年前から数学者がずっと考えていた「宿題」に、AI が答えを書き込んでしまった、と聞くとどう感じるでしょうか。
OpenAI が今週、社内の AI に古い数学の難問を解かせたら、80 年近く誰も超えられなかった答えを更新してしまった、と公表しました。
舞台になっているのは、ハンガリーの数学者ポール・エルデシュが 1946 年に出した、シンプルだけど誰も答えを出しきれなかった問題です。
問いはこんな感じです。机の上に紙を広げて、点をいくつか打ちます。そのとき、点と点の「ぴったり同じ距離」になっているペアを、できるだけたくさん作るには、どうやって並べるのが一番いいか。
これ、言葉だけ聞くと簡単そうなんですが、点の数が増えてくると、急に難しくなる問題なんです。長らく「正方形に等間隔で並べる(マス目みたいに)並べ方が、ほぼ最強だろう」と信じられてきました。
今回 OpenAI の AI がやったのは、その「ほぼ最強」だと思われていた並べ方をひっくり返した、ということです。マス目状に並べるよりも、もっと多くの「同じ距離のペア」を作れる新しい並べ方を、見つけてきた。
しかも単発の例ではなく、「点を 10 個でも 100 個でも 1 万個でも、この並べ方ならマス目より勝てる」という、いくらでも拡張できるレシピを書いてきました。これが大きいんです。
これ、見方を変えると分かりやすくなります。タンスにシャツを揃えて入れるとき、ふつうはマス目みたいに四角く積み重ねますよね。「同じ距離で並んでいるペア」と言うと、四角く積めばそれなりに作れます。
でも今回、AI が見せたのは「マス目じゃない、ちょっと不思議な並べ方」をすれば、同じ枚数でも「ぴったり同じ距離」のペアがもっと多く作れる、というレシピでした。タンスの中のしまい方を見直しただけで、見えていなかった対応関係が増えた、というイメージに近いかなと思います。
数学の世界では、これは「マス目こそ最強だろう」と長く信じられてきた読みが間違っていた、と分かった瞬間でもあります。
ここからもう一歩中身に入ってみます。少し言葉の数が増えますが、できるだけ普段の感覚で受け取れる形にしてみます。
これまで「最強」とされてきたマス目の並べ方は、実は「数の世界」の話と裏でつながっています。中学校で習う整数(1, 2, 3, …)を、横の軸と縦の軸の組として平面に打つと、ちょうど正方形のマス目になるんですね。ここに「縦の軸は虚数 i(マイナス 1 の平方根)と思って、a + bi(a, b は整数)の形で書く」というルールを足したものが「ガウス整数」と呼ばれる数の集まりです。マス目状の格子は、つまりガウス整数を平面上の点として見たもの、と言い換えられます。
AI が出してきたアイデアはこうでした。「ガウス整数は、ふつうの整数を i で 1 段だけ広げた世界。だったら、もっと深く広げた世界を使ってみよう」。数学者の言葉でいうと「代数体(だいすうたい)」と呼ばれる、整数の意味を何段も拡張した数の体系があって、その中には「ガウス整数より、内側に細かい対称性をたくさん持っているもの」が存在します。AI は、その豊かな対称性を持つ世界の整数を、平面上にうまく対応づけて並べると、距離 1 のペアがマス目より多く作れる、ということを発見しました。
そして、ここがいちばん意外なところなんですが、AI は「class field tower(るいたいとう)」と「Golod–Shafarevich の定理」という、整数論の中ではかなり深い道具を引っ張り出してきて、「こういう便利な数の世界が無限にたくさん存在する」ことを証明しました。これらの道具は数学者なら名前は知っていたものの、平面に点を置く問題とは縁遠いと思われていた領域です。代数の深い棚から、平面幾何の手元まで道具を運んできた、というイメージです。
数字で言うと、これまでのマス目では、点の数 n に対して距離 1 のペアは「n の 1 乗をほんのちょっと超える」レベルでしか作れませんでした。AI の新しい並べ方では「n の 1.014 乗」のペアが作れる、と分かっています(プリンストン大学の Will Sawin がさらに精密化しました)。0.014 という差は小さく見えますが、n が増えれば増えるほど、この差はぐっと広がっていきます。
フィールズ賞の受賞者であり数学者のティモシー・ガワーズも、コンパニオン論文の中で「AI 数学のマイルストーン」と評しています。
ここで冷静になりたいのは、AI が数学をぜんぶ自動でやれる段階ではない、というところです。OpenAI のブログでも、AI がどんな道筋でこの並べ方にたどり着いたか、すべての途中経過は公開されていません。使われた AI の正式な名前や規模も、いまのところ伏せられたままです。
それから、AI が出した並べ方が「本当に正しい」のかどうかは、人間の数学者が別途確かめてから発表されました。AI がひらめいて、人間が確かめる。この役割分担で 80 年の難問が動いた、という意味合いの話です。
正直に言うと、この発見で明日からスマホが速くなる、とか、家計が楽になる、とかは起きません。
ただ、これまで「AI は知識をうまく整理するのは得意」と言われてきた段階を、ひとつ超えてしまった出来事ではあります。長年、人間が紙とペンで考えてきた「答えがまだ無い問題」に、AI が新しい答えを置きにくる時代が始まっている。学校で数学を教える先生にとっても、研究をしている学生さんにとっても、「AI に問題を投げる」という選択肢が、冗談から本気に近づいてきた局面です。
数学が一気に AI のものになるわけではありません。でも、人間がずっと考え続けてきた宿題のひとつを AI が書き換えてしまった、という事実は、知的な仕事のかたちが少しずつ動いていることを示しているように思います。AI と数学の関係は、まだ始まったばかりですね。
OpenAI Research: An OpenAI model has disproved a central conjecture in discrete geometry