
エージェントを「2 週間動かす」という話。
Google Developers Blog が 5 月 12 日付で公開したのは、AI エージェントに「新人さん一人分のオンボーディングを丸ごと任せる」レシピです。書類を送って、署名を待って、IT アカウントを作って、端末の到着を待って、初日のスケジュールを送る——。普通のチャット AI だと数分しか覚えていられないこの流れを、2 週間ぶっ通しで文脈を失わずに回し続けるための設計が示されています。
執筆は Eric Dong(Google の Developer Relations Engineer)。サンプルコードは GoogleCloudPlatform/generative-ai リポジトリで全部公開済み。実際に動かせるライブデモまで同梱されています。
なぜこの題材なのか。実は、新人さんが入社する流れは、AI エージェントにとって「いちばん難しいタスク」の見本市だからです。
リポジトリの実装を順に追うと、エージェントは次の 5 つの状態を順番に進んでいきます。
普段の AI チャットだと、5 番目までの一連の流れは「1 つの会話」では絶対に終わりません。途中で数日空く工程が 2 回も挟まる。普通の chatbot は、人間が画面を閉じた瞬間に「いま何のステップにいたか」を忘れてしまいます。
ステートレス chatbot(その都度ゼロから考える普通のチャット AI)で 2 週間級の業務を回そうとすると、3 つの形で壊れます。
ひとつ、話の履歴が膨らみすぎる。これまでのやり取りを全部 AI に毎回読み直させる方式だと、2 週間で数百ターン分の雑談・ツール出力・指示が積み上がる。AI は「いま何のステップ?」を見失う。
ふたつ、お金が溶ける。同じ履歴を毎回読み直すたびに料金(トークン)を消費する。1 件のオンボーディングで数千ターンになり、その大半は今の判断には無関係な過去ログ。
みっつ、幻覚を見はじめる。3 日眠ってから「再開しよう」と分厚い履歴を読まされた AI は、「もらってない承認をもらった」「終わってない手続きを終わったことにする」と勝手に話を進める。
context window(一度に読める量)を 1000 万トークンに増やしても、この問題は解けません。そもそも仕組みを変える必要がある、というのが今回の主張です。
ADK の新人オンボーディング・エージェントは、3 つの工夫でこれを解いています。一般のたとえに落とすとこうなります。
ひとつ目は 状態を「手帳」に書く 工夫です。会話の履歴を全部覚えるのではなく、「今は WELCOME_SENT」「今は IT_PROVISIONED」と、5 つの状態のうちどれかを SQLite(簡易データベース)に書き残す。AI が再開するときは、長い履歴を読み直さず「手帳の今のページ」だけを見る。これが durable memory schema(耐久的なメモリスキーマ)と呼ばれる設計です。
ふたつ目は「待つときは眠る」工夫。書類署名待ちの数日間、エージェントは画面の前でずっと張り付くのではなく、コンテナごとシャットダウンして眠る。署名が完了したという通知(webhook)が来た瞬間に、また起きて続きを進める。これが event-driven dormancy gates(イベント駆動の休眠ゲート)。電気代と AI 利用料の両方を節約できる。
みっつ目は「専門係に丸投げ」する工夫。「IT アカウント作って」「端末手配して」を 1 つの巨大プロンプトで自分でやろうとせず、IT 専門のサブエージェントに渡す。新人エージェントは「HR の段取り係」に徹し、技術系の作業は別の AI が引き受ける。役割分担すると、それぞれのプロンプトが短く・正確になり、間違いが減る。これが multi-agent delegation(マルチエージェント委譲)。
3 つはバラバラの話ではなく、「状態を切り出す → 待機できる → 委譲できる」と順序で噛み合って動きます。
リポジトリには動くライブデモまで入っています。React + FastAPI 構成で、画面は 2 つに分かれています。
ひとつは「HR の司令塔」画面で、いまどの状態にいるか・どんなイベントが起きたかが時系列で見える。もうひとつは「社員ポータル」画面で、新人さんが受け取った書類を確認し、署名ボタンを押し、端末配送の確認ボタンを押せる。署名ボタンを押した瞬間に画面が進むのではなく、裏側で AI エージェントが起き上がって、状態を進めて、それから画面が反映される——という、実運用に近い動きを正直に再現しています。
ただし、これは「すぐ職場で稼働する完成品」ではありません。Gemini 3.1 Flash-Lite で動くサンプルコード、つまり「自分の会社の状況に合わせて作り変える土台」です。日本企業で使うなら、IT 部門のアカウント発行 API、社内端末配送業者の追跡 API、人事システム(SAP SuccessFactors、Workday、SmartHR 等)への接続を自分で書き込む必要があります。
半年スケールでは、HR・経理・情シスの「数日空く工程がある業務」を AI に任せる試みが、まず大企業の一部チームで始まるはずです。請求書ディスピュート(ベンダーからの回答待ち→経理ルーティング)、稟議承認、ヘルプデスクの長期チケット——どれも同じ「状態マシン + 休眠ゲート」のパターンで組めます。
1 年スケールでは、Microsoft(Copilot Studio)、Anthropic(Claude エージェント)、OpenAI(Codex / Agents)も同様の「数日級の業務を任せる」テンプレートを横並びで出してくると見ています。今回 ADK が早めに公開リポジトリ + ライブデモの形で出したのは、その先頭を取る動きとして読める。
3 年スケールでは、「AI に任せられる業務」と「人が判断する業務」の社内の線引きが、想像以上に AI 側に寄ります。新人オンボーディングのような「定型 + 待ち時間」の業務は、ほぼ自動で回るのが普通になっているでしょう。
私たちが日々付き合う「AI」は、これまで「質問に即答してくれる相棒」でした。これが「2 週間ずっと案件を覚えていてくれる、控えめな同僚」へと役割を広げていきます。新しい職場で初日に会う「受付係さん」「総務の人」「情シスの人」が、実は全部 AI——という未来は、もうそんなに遠くありません。Google が公開したこのレシピは、その未来の輪郭をいちばん具体的に見せてくれる、初の本格的な一次資料です。
情報元
– Google Developers Blog — Build Long-running AI agents that pause, resume, and never lose context with ADK(2026-05-12, Eric Dong)
– Agent Development Kit (ADK) 公式
– GitHub — GoogleCloudPlatform/generative-ai – New Hire Onboarding Sample